スイカはいつからフルーツとして扱われていたの?【スイカの歴史シリーズ】

こんにちは。あまいスイカ広報部です。

今回もすいかマニアとしての知識を深堀りして、スイカに関する造詣を深めていきたいと思います。

過去にいくつか歴史シリーズとしてスイカの歴史を紹介してきましたが、かなり大雑把に時代を区切っているので、本記事ではもう少し細かいところに目を向けていきます。

スイカのプロフェッショナルである限りは、すいかに関する様々な事を「知る」ことによって、新しい発見が見つかるかもと期待してしまうのです。

今回はウリ科であるスイカがどのくらいの時代から「フルーツ」という認識をされてきたか?ということについて紹介していきます。

スイカに言及した古代ローマ人と古代イスラエルの資料

スイカそのものの存在は紀元前数千年前から、古代人の残した遺跡にこれらの名残が見られることを以前は紹介しました。

その頃のスイカは中身も甘いものではなく、原産地であるアフリカなどの暑い地方で水分の代用として消費されてきた可能性が高いのです。

まず、紀元前500年頃、地中海の南部に広がったとされるスイカは『医薬品』としていくつかの人物が取り上げています。

その中でも有名な人物は、古代ローマの知識人であった大プリニウスです。

彼は、古代ローマにあってほぼ最高の知識人とも呼ばれており、特に自然学という分野においては他の誰よりも優れていたと言われています。『博物誌』と呼ばれる非常に多くの自然学を記した著作で知られており、プリニウスはこの博物誌の中でスイカが強力な解熱効果を持っていることを記していたようです。

画像引用元:ガイウス・プリニウス・セクンドゥス

※ちなみに大プリニウスの生きていた時代は西暦20年~70年頃だと推定されています

しかし、この時代にはまだ『甘いフルーツ』という認識はなかったようで、ヨーロッパに渡って500年ほど経過してもフルーツとしては扱われていなかったようでした。

そこから時代は進んで、古代イスラエルの時代。

紀元200年頃に書かれたとされている文献には、イチジク、ブドウ、ザクロなどと同じ分類にされていることが分かっています。

その後、紀元450年前後のものと見られる壁画にはオレンジ色の果肉であることが記されているということもあり、現在食べられているほど甘いものではなかったとも考えられているそうです。

※スイカの糖度は赤い色に果肉を色づける遺伝子とペアになっている

スイカがフルーツとして扱われたのは紀元50~200年?

今では当たり前におこなわれている品種改良ですが、紀元前後では非常に時間がかかったものだと推定出来ます。

現代を生きる私達には当時に残された資料から読み取ることしか出来ませんが、解熱剤のように扱われた古代ローマの時代から、フルーツの仲間として扱われてたとされる紀元200年頃の古代イスラエルという背景を考えると、、、

紀元50年~200年ほど、約150年間において品種改良に成功し、フルーツとして扱われていた可能性が高いと言えるかもしれません。

これらはあくまでも推測の域を出ませんが、約1900年ほどの時間をフルーツとして扱われていたと考えると、やはり歴史のある果物だと改めて認識させてくれますね。