こんにちは。あまいスイカ広報部です。
日本のスイカのイメージは、濃い緑色に黒いシマシマ模様。
中身は赤く食べるとみずみずしい夏の風物詩というものが多いですが、実は現在多く流通している
縞模様の濃いスイカが本格的に栽培され始めたのは第二次大戦後なんです。
スイカ自体はそれ以前から日本でも知られていましたが
当時、昭和以前を代表するスイカは黒い外皮の【鉄かぶと】と呼ばれるものでした。
現代スイカの基礎を作った鉄かぶと
日本にスイカが伝えられた時期や時代については今もってハッキリと解明されていません。
もっとも広く言われているのは、安土桃山時代にポルトガルから持ち込まれたという話ですが
実際にそれよりも古い時代、僧義堂の「空華集」にスイカの詩があることや
さらに古い平安後期のものとされる「鳥獣戯画」にもスイカらしきものが描かれていることから
早ければ平安時代には日本にスイカがあったのではないか?
とも言われています。
この辺りの考察は別の記事でもご紹介しましたが
近代的な部分で言うと、明治時代~大正時代にかけてが日本のスイカにおける
転換期の1つだったとされています。
輸入交配から品種改良
江戸時代末期に起こった明治維新において、日本は一気に外国との交易が盛んになります。
近代化を目指した日本は、様々な物をこの時期に海外から取り入れていますが
その中の1つに、アメリカのアイスクリームと呼ばれたスイカなども含まれていました。
日本がアイスクリームを導入したのは、明治時代の末期頃であり
その後、自然交配や雑種交配で増えたスイカを整理すべく奈良県で計画的な品種改良が行われてきたという歴史も残っています。
この、計画的な品種改良において
現代スイカに通じる品種の開発は行われてきたわけですが、外来種がほとんどなかった時代
日本のスイカは「鉄かぶと」という愛称で呼ばれる
いわゆる黒外皮のスイカだったそうです。
今では、どちらかというとサブポジションのイメージが強い黒皮品種ですが
江戸時代後期~明治時代後期にかけては日本のスイカの主役だったそうです。
当時からすでに中身は赤く、あまい味で知られていたため
スイカという品種自体は知られていたそうですが、そこまで広い浸透はなかったのかもしれません。
奈良県の大和種から現代スイカへ
現在、日本のスイカ名産地といえば熊本県や千葉県などが一般的に知られています。
しかし、日本で最初に作付面積が多く出荷用のスイカ栽培に取り組んでいたのは実は奈良県なんです。
外来種のアイスクリームと在来種との計画的な育種が行われた結果
奈良県では「大和」や「富研号(ふけんごう)」と呼ばれるスイカが戦後に出来上がりました。
いわゆる現代スイカの元祖とも言われる品種の1つです。
戦前までは奈良県では食べるスイカを栽培研究していましたが
戦後はスイカの元になる「種」の育成をしてきたという流れがあります。
さらに、現在でもブランドスイカなどの「種」という面では
主に奈良県が中心となって出荷しているんです。
つまり、日本のスイカは
明治後期までは「鉄かぶと」によって牽引され、その後は奈良県を中心に品種改良が進んでいったということになります。