スイカとエジプトの関係性が深すぎた「スイカの歴史シリーズ」

こんにちは。あまいスイカ広報部です。

今回も前回に引き続き『スイカとエジプトの関係性』について紹介していこうと思います。

前回はピラミッドから見つかったスイカの種について考察していきました。

<スイカの豆知識>ツタンカーメンの王墓にあったスイカの種

スイカの原産国がアフリカの砂漠であることから、エジプトとの関係性に興味を持って調べましたが、かなりマニアックというかスイカがどういった役割を果たしていたのかが分かり、スイカマニアとしての心をくすぐられました。

それでは、今回もスイカマニアへの道のりにお付き合いください。

古代エジプトでは重宝されていたスイカという果実

古代エジプトの王墓とされるピラミッドの中に発見されるスイカの種。

これが意味するところは『スイカは平民や王族にとっても非常に大事な役割を持っていた』という事実ではないでしょうか?

スイカが水分供給源になっていたことはこれまでも紹介してきましたが、水分はもちろん、種の栄養素も当時には貴重なものだったそうです。

スイカの種には主に下記のような成分が含まれています。

  1. ビタミンB6(免疫の維持や体内のタンパク質を代謝させる)
  2. 葉酸(女性には馴染みの深い栄養素で、貧血の防止や母体には欠かせない栄養素の1つ)
  3. マグネシウム(主に骨などに重要な栄養素であり、体内のエネルギー生産の役割も)

古代エジプトの人々は過酷な環境の中で生活する間にスイカの種の栄養素を取り入れてきたというわけです。

それもそのはず、今でもエジプトは非常に寒暖差が激しく、日本の環境のように住みやすい気候ではありません。

もともと夏が非常に長く暑い地域ですので、暑いのが苦手な人にはかなりきついですよね…

(なんと、、夏の最高気温差は下が7度に対して上は40度以上!!)

スイカは寒暖差があるほど美味しくなると言いますが、流石にここまで温度差があると栽培することも大変ですよね(汗

スイカがもたらした恩恵とは?

当時のスイカはなにもエジプトの人々だけに恩恵をもたらしたわけではありません。

スイカは日陰であれば日持ちがしていたため、当時の旅のお供としても活躍していたそうです。

これが、もたらした恩恵はある意味で現代にもあるという考え方をすることもできますよね。

なぜか?

これは、捉え方によってはスイカが旅を円滑したことで、文化の交流に貢献されたと考えることが出来るからです。

もちろん、スイカがこれらの旅に同行したことによって、各地に広がっていったと考えることもできます。

こう考えると、やはり、四大文明と呼ばれたエジプトで重宝されていたスイカはあるべくして現代までその姿を進化させながら生き残ってきたのかもしれませんね。

元々はアフリカに原生していたスイカ

スイカの原生種とされているものは諸説ありますが、どの種類も基本的にはアフリカの砂漠で発見されていることから、最初はアフリカから広がっていったという説が定説になっています。

エジプトのような古代に反映してきた地域では、貴重な水源として扱われたり、王であるファラオが食べるような貴重品であったのかもしれません。

今では庶民的な食べ物のイメージが強いですが、古代のスイカは非常に高価だった可能性もあるのではないでしょうか?