こんにちは。あまいスイカ広報部です。
だんだんと気温も落ち着いており、お昼は温かいと感じる日も増えてきましたね。地域によってはすでに暑いと感じておられるかもしれません。そんなときはスイカを食べて、ちょっと怖い話を聞いたりしてみませんか?
ということで、普通の怖い話をしても意味がないので、今回はスイカ割りの起源とされている残虐なお話について紹介します。
軽くオブラートに包みながら紹介しますので、怖い話は苦手だー!という人にもこんな噂もあるんだよ~くらいの感じで読んでいただければと思います!
スイカ割りの起源は古代中国だった?
当ブログコーナーでもたびたび紹介してきましたが、中国は世界一のスイカ生産量を誇っています。
世界中のスイカの大部分を栽培している中国では、スイカの歴史も日本より長いです。
そんな中国の時代をずーーーーっとさかのぼった三国時代。いわゆる『三国志』で語られているような時代のこと。
日本ではまだ卑弥呼が今も場所のわからない邪馬台国を治めていた時代ですが、中国ではこの頃にとある習慣があったそうです。
その習慣こそ、現代に行われている『スイカ割りの起源』になったという説があります。
敵捕虜の処刑方法だった説(汗
さて、三国時代の中国はいわゆる漢王朝という政府があったものの、世の中は混乱を極めていました。
多くの戦争、一揆、反乱、異民族による侵攻などなど、とにかく争いの耐えなかった時代です。
そんな時代に頭角を現し、後に三国を作るのが、劉備、曹操、孫権という三人の英雄でした。
本当は、この3名がそれぞれ大きな国を作る前に沢山のお話があるのですが、長すぎるのでここでは省略(汗
それよりも、この時代には戦争が多かったことから、当然ながら捕虜の身分になる兵士も多かったわけです。
この時代の捕虜の待遇は時と場合によって大きく異なりました。
名前や力の知られている武将や軍隊であれば、取り込まれることも多かったのですが、一方で周囲への威嚇の意味を込めてすべての捕虜を処刑するなんてことも。
そんな処刑方法の1つが、生きたままの人を土に埋めて首だけを出した状態にして、木の棒などを使って頭を狙うことだったそうな・・・。
当然、捕虜の命が残るはずもなく、そのまま亡くなってしまいます。
そう、この習慣こそが現代のスイカ割りの原型になったという説があるんです。
よくよく考えてみれば、スイカ割りってちょっと理由がわからないですもんね笑
なぜ、わざわざ地面に置いたスイカを目隠しして割っているのか。
実は、こんな怖い習慣がもとになっているかもしれないんです(震
他にも試し切りや居合がもとになったという説も
中国の説ではかなり怖い話が1つの説になっていますが、日本に渡ったあとに起源とされている話では、日本刀の試し切りや居合斬りなどがスイカ割りの起源になっているとも言われています。
これであれば、なんとなく雰囲気もわかって怖くないのですが、果たしてどの説が本当なのか…。
はっきりとした説が確定されているわけではありませんが、スイカ割りの起源には色々なお話があるので、興味のある方は他にも調べてみてくださいね。