こんにちは。あまいスイカ広報部です。
今回はスイカマニアの歴史シリーズ第二弾として、スイカの日本伝来について考察していこうと思います。
このシリーズをしっかりと読んでいると、あまいスイカの様々なキャンペーンで役に立つ可能性も…笑
さて、それは一度置いておきまして今回はスイカの伝来です。
日本にスイカが伝来してきたという考察はかなり難しい部分もあるのですが、残された資料などから考えていこうと思います。
鳥獣人物戯画に描かれたスイカらしき画
画像引用元:wikipedia(鳥獣人物戯画)
皆さんは鳥獣人物戯画という巻物をご存知でしょうか?
国宝にも指定されている水墨画の1つで、動物を擬人化したような絵が沢山描かれている巻物の総称が鳥獣人物戯画なのです。
これは日本最古のマンガとも言われており、当時の風刺を動物などで擬人化するという非常に珍しい手法で描かれたものなのですが、この中にシマシマの入った果物のようなものを運んでいるウサギが見えると言われています(上記図参照)
これがスイカなのではないか?
という議論も未だに続けられており、はっきりとした作者なども不明瞭なために正確な判断は難しいのですが、鳥獣人物戯画が制作されたのは平安時代から鎌倉時代にかけてだと言われているのです。
つまり、仮にこのシマシマの物体がスイカであれば、平安時代にはすでにスイカは日本にあったことが分かります。
現在でも世界で一番スイカを生産している中国(当時は唐の時代)とも交流があったと考えられていることから、平安時代の日本と唐の間で交易などによって日本に伝来していた可能性があるということです。
※ちなみに、一般的に鳥獣人物戯画は鳥羽僧正が制作したとされた説も強いですが、実際にはハッキリとした製作者は断定されています
室町時代の僧侶が読んだ詩にはスイカがある
室町時代の僧侶が詠んだとされている詩の中にはスイカを詠んだものがあるとされています。
微妙な年代の違いにはなりますが、、、
- 鳥獣人物戯画=西暦1100~1200年頃
- 室町時代=1300年頃~
と、時代に100年ほどの開きが出てきます。
大きな時間の流れを見ると些細な違いかもしれませんが、時代背景を考えるとある種の証拠にもなるので、確定出来るのは室町時代以降だということになります。
日本に伝来したことが資料から確認出来るのは、この2つであることから、平安時代頃に伝来したという説がかなり強くなってきます。
江戸時代以降はハッキリと存在が確認出来る
時代は流れて江戸時代、1696年に書かれたとされる『農業全書』にはスイカに関する記述がハッキリと残されており、徳川幕府の時代には換金作物として栽培されていたとの記録もあります。
また、この頃からは黄色い品種や赤い品種など、いろいろな品種があったことも確認されているため、スイカ文化が根付いていたことが分かるのです。
つまり、江戸時代にはある程度安定して日本にはスイカの文化があったということになるのです。
明治以降のスイカの歴史
画像引用元:大政奉還
江戸時代は歴史的にも有名な明治維新があり、幕府の体制から一気に日本は近代化への道を進みます。
これまでは鎖国していた日本が開国し、様々な国と交易が始まったことから、アメリカやロシアなどからすでに品種化されたスイカの種が日本に入ってくるようになったとされています。
そこから昭和の時代にかけて日本でも独自の品種改良が進み、最初は奈良県などに品種が根付いたところから、全国的にスイカの文化も広がっていきました。
西暦1100年前後に日本に入ってきた説が濃厚
今回はスイカの伝来から日本でも広がりまで話まで膨らみましたが、実際にスイカが日本に伝来したのは西暦1100年前後が濃厚かと思われます。
もちろん、スイカの伝来には決定的証拠がありませんので、あくまでも推測にはなりますが、室町時代には詩として詠まれていたという事実が1つのキーポイントになるのではないでしょうか。