こんにちは。あまいスイカ広報部です。
スイカマニアの歴史シリーズ。
今回は古代のスイカが、当時の人々にとって大切な水源であった他にも
ウリ科の特性を使って水筒の代わりに活躍していたという説があることをご紹介していきます。
現在のスイカよりもさらに外皮が硬かった古代のスイカですが
水分の含有量はほとんど変化がないため、当時から約90%は水であるとされていました。
ウリ科特有の硬質な外皮
よもやま話のようですが、実は世界的に見ても「ウリ科」と呼ばれる植物の多様性はかなり広いそうです。
これは、ウリ科に属する植物の歴史が長いことにも関わってくるのですが
主に西側諸国に広がった場合には広義の意味で「メロン」と呼ばれるようになり
東側に広がっていった漢字圏内では「瓜」という名前で知られていきます。
スイカが日本に伝わった時期については諸説ありますが
実は、きゅうりなどの「ウリ科」が伝わった時期は、スイカが伝わった時期よりも遥かに古い可能性が高いのです。
植物を分類すれば、キュウリもスイカも同じ仲間であり
メロンやズッキーニ、かぼちゃなども「ウリ科」の食べ物です。
古代エジプト人が甘くしたという説のあるスイカですが、ウォーターメロンという名前でのスイカは
エジプト人よりもさらに昔の時代にも貴重な水源として知られていたというものです。
中でも、古代のスイカ、いわゆるカラハリスイカの自生していた砂漠では雨の少なさから水は貴重なものです。
植物としての本能で蓄えられた水分を外に逃さないためには
ヘチマや冬瓜などのように高い外皮が必要だったのかもしれません。
スイカは当時から水分含有量にはほとんど差がないとされており
古代から水を蓄えた自然の水筒として活躍してきたとも言われています。
古代ギリシャでも広まったスイカ
スイカは古代から貴重な水分源として知られており
実に多くの人の流れの中で世界中に分布したと言われています。
エジプトの壁画やピラミッド内部にあったと伝えられる種もそうですが
エジプト以外で最初に広まったとされているのが古代ギリシャ
いわゆる地中海の周辺です。
日本でも現在はサラダなどにアレンジレシピとして使用されるスイカですが
伝統的な料理として、地中海料理にはチーズとミント、スイカをサラダとしたものがあります。
また、博物誌を著作した大プリニウスの時代(紀元20~70年頃)には既にスイカの効能が知られていたことを合わせると
紀元前4000年頃からエジプト一帯ではナイル川を辿ってスイカが広まっており
別の場所としては地中海周辺、主にギリシャやイタリア(古代ローマ)ではすでに知られていた可能性が高いのです。
ちなみに、エジプトではスイカをメロンと呼んでいたという説が強く、旧約聖書でエジプトを脱出したあとのエピソードにもヘブライ人がエジプトではメロン(おそらくスイカとされる)を食べていたことを懐かしむ記述もあるそうです。
砂漠の必需品でもあったカラハリスイカ
現在もサン族という原住民からは貴重な水源として使用されているカラハリスイカは
遠い昔、砂漠という過酷な環境を人間が生きるために役立ってきたという歴史があります。
現代のように、車や飛行機もなく移動手段の乏しい中で
当時の人々にとっては必需品とも言える水分補給源がカラハリスイカであったわけです。
現代でもスイカ+塩の組み合わせは天然のスポーツドリンクと言われるほどですが
その有用性はむしろ古代の方が高かったのではないでしょうか?