こんにちは。あまいスイカ広報部です。
今回は恒例のスイカの歴史シリーズを紹介していきたいと思います。
みなさんは、エジプトの有名なファラオであったツタンカーメンをご存知でしょうか?
ツタンカーメンは少年のファラオであり、お墓の発見時には様々な事件が起こったりしたことで有名なのですが、実はツタンカーメンの王墓の中にも『スイカの痕跡』があったと言われています。
正確にはスイカの種が発見されたと言われており、当時のエジプトにスイカが存在していた証拠の1つとして挙げられているのです。
もちろん、当時のエジプトでスイカが栽培されていたことは歴史的にも確認されていますが、なぜお墓の中にも種があったのでしょうか。
今回は王墓で発見されたスイカの種について考察していきます。
王墓で発見された『スイカの種』
過去の当ブログでもエジプトの壁画にスイカらしき痕跡が発見されていることは紹介してきました。
大まかなスイカの歴史については以下の記事をご覧ください
⇒スイカの歴史と原産地とは?もともとスイカはどこの国のフルーツだったのか
こちらの記事では、エジプトで確認されていたという事実だけではなく、どうして王墓にスイカの種があったのかを考察したいのです。
そのためには、当時のスイカの役割を知らなければなりません。
まずは、一般的に研究されているものについて触れていこうと思います。
考察①古代エジプトのスイカは水分供給源であった
多くの研究者の方も指摘されていることですが、原生のスイカは水分供給源として栽培されてきたという歴史があります。
砂漠などの過酷な環境において、人間が生きていくためには水分と塩分が不可欠です。
そういった大事な役割を果たしていた自生植物としてスイカは扱われていましたが、それをお墓に入れていたという行為にはどのような意味があったのでしょうか。
ここが一番謎とされているポイントなのです。
考察② 死者への水分供給としてスイカが納められた?
エジプトの王墓は中国の兵馬俑や日本の古墳などと同じく、亡くなった王様(エジプトではファラオ)が死後も魂が生きていけるように準備するという習慣がありました。
※正確には国や遺跡などで意味合いが少し変わるのですが、ここでは割愛します
特に当時エジプトでは火葬などの習慣がありませんでした。
これは、歴代のファラオは死後もエジプト神話に出てきていた神様に魂が運ばれると考えられていたそうです。
そのために作られていた代表的なものが『ミイラ』です。
肉体をそのままに埋葬することには、当時の死生観が反映されています。
ここで、ようやくスイカの種の意味が少し見えてきますよね。
お墓に入っていたスイカの種は、おそらくファラオが死後も水分供給源としてスイカを食べられるように準備されたものだと考えることができます。
死者に対してもスイカを埋葬していたエジプト
以上のことから、エジプトの王墓で発見されたスイカの種には、亡くなった王へのお供として供えられていたという説が濃厚です。
今回も普段はなかなか触れる機会の少ないスイカの歴史について触れてきましたが、いかがでしたでしょうか?
新しい発見と学びになってくれれば幸いです。
参考:https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/a/082500029/(アクセス日:2021/04/16)