スイカと塩と千利休(せんのりきゅう)

こんにちは。あまいスイカ広報部です。

今回は久しぶりにスイカマニアの歴史シリーズ、スイカにはいつから塩をふる習慣があったのか?ということについて紹介していこうと思います。

スイカに塩はもはや定番中の定番ですし、現在ではレモンや蜂蜜など、他の組み合わせも豊富ですが、おそらくスイカが一般的に広がる少し前、いわゆる戦国時代~安土桃山時代には香辛料(塩や砂糖)が非常に貴重品でした。

当然、スイカもまだ一般的な食事ではなかったので貴重品だった頃に茶道で有名な千利休(せんのりきゅう)がスイカに物申したことが、塩をふるキッカケになったと言われているんです。

スイカには砂糖が主流だった?戦国時代のスイカ事情

まだ日本全国が戦国時代の大名達によって覇権争いをしていた頃、南蛮由来の文化を多く日本に取り入れた1人が有名な『織田信長』です。

織田信長は天下布武を旗印として全国に勢力を広げました。その勢いは教科書でも習う豊臣秀吉、そして徳川家康が引き継いで江戸幕府が開かれたわけです。戦国時代のもっとも有名な武将を3人挙げるとすれば、おそらくこの3名ですよね。

さて、肝心の千利休はどの時代に活躍したのか?

正解は豊臣秀吉の時代。豊臣秀吉自身へのお茶の指南役や側近として活躍をして政治的な権力も持つようになった【茶聖】の異名を持っている大人物です。

画像引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%88%A9%E4%BC%91

この千利休は非常にグルメなことでも有名で、お茶を通じて様々な文化にも精通していたと言われています。

そんな千利休がスイカに物申したというエピソードが、ある時、千利休が訪れた訪問先で、当時非常に貴重品だった【スイカ】と【砂糖】を出されたときに、千利休は砂糖がかかっていない部分だけを食べて帰ってしまったそうです。

弟子がこの行動に対して質問したところ『スイカにはスイカ本来の甘さがあり、砂糖をかけるなど言語道断である』といった趣旨の発言をしたそうです。諸説ありますが、『むしろ少しの塩をかけたほうがスイカの甘さは引き立つものだ』と言及したとも言われています。

千利休の影響力は非常に大きかったため、これらのエピソードが徐々に広まったと考えれば、あながち間違いではないんですよね。

スイカに塩が一般的になったのは江戸時代から

戦国時代や安土桃山時代、江戸時代のあたりは混同されやすいですが、安土桃山時代はおよそ1573年~1603年頃であり、江戸時代は1603年~約270年続くんです。

豊臣秀吉が関白になったのは、1585年頃ですから千利休のスイカに関するエピソードはおそらくそこから1591年の切腹を命じられるまでの期間、もしくはその前後が濃厚かと思われます。

1603年から江戸幕府が開かれますが、家康の時代に安土桃山時代の騒乱が完全に落ち着いたかと言われば判断が難しいところで、おそらくは三代目家光の頃から江戸文化は落ち着きを取り戻したと考えられています。(参勤交代などで大名のパワーバランスを調整してます)

徳川家光が将軍になったのは1623年ですから、1650年前後にはスイカも一般的に広まったのではないでしょうか?(あくまでもここは推測です)

いずれにせよ、当時の浮世絵などにはスイカが頻繁に登場していることから、この頃からは塩が一般的なスイカのお供として知られていたようです。

千利休がいなければ、スイカに塩はなかったかも!?

今回はスイカと千利休に関するエピソードを紹介しましたが、これが完全に影響を及ぼしていたとしたら、千利休がいなければスイカに塩をかけることもなかったのかもしれませんね。。

というわけで久しぶりの歴史シリーズでした!スイカマニアにまた一歩近づけたかも知れません!