はじまりの部分として簡単なスイカの歴史やルーツについてご紹介したことがありますが、今回はちょっと違った視点からスイカの歴史についてご紹介していこうと思います。
昔はどのようにしてスイカが食べられていたのか、スイカの楽しみ方の変化や、みなさんの知っている超有名な偉人も食べていた!?などなどちょっと違った角度からの情報も紹介しますので、興味のある方はぜひ最後まで読んでみてください。
スイカのはじまり
もともと、スイカはとても苦く・固い植物でした。
スイカの祖先にあたる植物は、アフリカで生まれたことは以前の記事で紹介しました。その後、欧州の各地に広まったという説があります。(諸説あり)
そしてスイカの祖先とされているのは、アフリカ南部で育った【シトロンメロン】と言われています。
この祖先といわれているシトロンメロンは、短い毛におおわれていたそうです。
今のツルツルとしたスイカからは想像が出来ませんね。
ですが、長年スイカの歴史について研究してきた、農業研究機構の園芸学者ハリー・パリス氏は、アフリカ南部よりもエジプト人の方が、約4000年前よりスイカの栽培を始めていたといいます。
パリス氏が考える、スイカの祖先はアフリカ北東部原産の種の、学名『Citrullus lanatus var. colocynthoides』という植物だったのです。
その理由は、リビアという集落(エジプトの隣に位置する国)で、いろんな果実の遺物の中で、スイカの種も見つかっていることから紐づけられているのでしょう。
また、スイカの種があの誰もが知る「ツタンカーメン」の墓や、3000~4000年前に作られた、エジプトの墓の中から発見されていることもあり、よりこの説が濃厚になっているのでしょう。
他にも、エジプトにある壁画にはスイカとみられるものが描かれており、そのスイカの形状は日本で主流の丸いかたちではなく、アメリカで主流の楕円形であることから、野生のスイカではなく、栽培種のスイカではないかと推測されています。
スイカが栽培されたきっかけ
自然に生まれた植物・果実をなぜ栽培しようと思ったのか・・・その理由も気になりませんか?そこには土地柄が強く関係していたのです。
みなさん、スイカを想像してみてください。スイカって他のフルーツと比べても水分量が多く、みずみずしいイメージですよね。
そう、スイカを栽培しようとした1番の目的は【水分の確保】だったのです。
当時のスイカは、果肉も固く、味もお世辞にも美味しいといえるものではなかったそうなのですが、watermelonというスイカの英名のとおり、スイカはとても水分が多く、涼しい日陰に保管していれば数週間~数か月の間、保存がきくので、水分補給するための食物としてとても重宝されていたのです。
エジプトの墓からスイカの種が発見された理由も「死後の世界の長旅には、水分が必要だろう」と考えられていたため、供え物とされて、遺体と一緒に入れられていたそうなんです。
どこの国でも、死者を思いやる気持ちは万国共通なんですね・・・なんだか感慨深いです。
スイカの品種改良
スイカを水分貯蔵の目的で栽培していたエジプト人ですが、栽培をつづけるうちに、美味しくないスイカを育てるよりも、どうせ食べるなら美味しいスイカがいいという結論に至ったのでしょうね。
「どうすればこの苦くて固いスイカが美味しくなるのか?」とエジプト人は考えたのだと言われています。
苦味の原因となる遺伝子は1つしかなかったため、まずはその遺伝子を取り除き、その後もあらゆる品種改良を重ねていったそう。
そういった改良の結果でしょうか、いくつかのエジプトの墓の壁画の中には、楕円形のスイカが切ったままの生の状態で、大きな皿にのせられていた絵があったとのこと。
エジプト人は、長い歴史の中で品種改良を続けていき、生でそのまま食べても美味しいと思えるほど果肉がやわらかくなるように向かわせていたのでしょう。
意外と奥深い、食物の歴史
いかがでしょうか。
今回は少々長くなってしまいましたが、食べ物の歴史っておもしろいですね!
今、自分たちが何気なく口にしている食べ物の、昔の人々の努力の結晶で、現代に美味しく食べられているんだと考えると…なんだか不思議な気持ちになりませんか?
<参考サイト>
①https://fruit-column.com/829/(アクセス日:2020/07/26)